内山村長少年時代語る 鎮山親水サイト動画で
- 山江村管理者
- 2月3日
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令和2年7月に線状降水帯が発生し、人吉球磨郡は未曾有の大災害に見舞われました。山江村でも、山が崩れ、家が濁流に飲み込まれ、橋も道路も流失し「モノだけでなくココロまで流れていった」状況でした。
そこで、被災された方々とともに力強い復旧復興の道標となるべく目標・理念が必要だと思い、「鎮山親水」という造語をつくりました。いわゆる「治山治水」は「山を治め、水を治める」と行政的であり学術的でもありますので、もっと村民の皆さんとともに山江村の自然と向き合うことが、今後の災害にも強い自己治癒力の高い復興むらづくりにつながることを実感し、その旗印に掲げた「鎮山親水」です。「山を鎮めて水と親しむ」ということです。
現在、森林の経済的価値の低下により皆さんの足が山へ向かなくなりました。また、川からも人が遠ざかるようになり、中小河川は恵みの川というより排水路化しているように思えます。子どもの頃、川遊びの中で育った我々の時代を懐かしく思いますし、「川で育った子どもは、いずれ川に帰ってくる」と言われた社会教育の先生がおられましたが、まさに母川回帰で私は幸運にも故郷に帰れました。山江村の「鎮山親水」とは、再び人々が山へ入り畏敬の念を取り戻し、川の恵みに感謝して、自然の豊かさを享受しながら生業を取り戻すことも目指しています。
今回の動画では、幼少年期の時代を地域で共に暮らした丸山幸喜さんと先輩の松本佳久さんとで振り返ってみました。電気炊飯器も洗濯機も冷蔵庫も無く、けっして経済的な便利さはなかった時代ではありますが、色々と大変だったけど家族の絆はもちろん、先輩後輩を始め地域の絆も強く、子どもも家庭での役割を果たしながら、ある意味では豊かな時代であったかもしれないと考えることもできます。お互いが助け合いながら「かちゃり(結)」により暮らしがなりたってもいた時代です。
今と昔とどちらが良いとかは、もちろんありませんが豊かな精神文化だけは無くしてはいけないと考えています。「鎮山親水」の原点でもあります。

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